今、感じること

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アスペルガー症候群(ADHD)の視線

うちの子です。

私が中学生の時にもいたのですが、気になるものや事があると、その一点を凝視し続ける癖があります。

さすがに相手と目が合えば反らすのですが、それまではずっと見ている感じです。(テレビでも見ているかのよう)

定型の人は見られていると気がついても無視してやり過ごすのでしょうが、それを良いことに見放題な。。

それって自分の興味があることだからずっと見ることができるのでしょうが、いざ叱られている時や興味の無いことには一切見向きもしません。

まあ子供なら定型の子でもやや同じことは言えるかもしれませんが、ADHDの子は話も聞き入れられないので注意された事も覚えていない状況です。

なので、思い出して次に活かすとか反省するとかもあまりないように思う。

とにかく動くものや気になるものへの執着が凄く、自分のことより気になることへの感心が勝るのでしょう。

例えば食事中、自分のご飯はボロボロとこぼしていても、目の前の人がこぼしていることが気になり注意をする。しかし、「あなただってこぼしてる!」と言われるとふて腐れて「あ、ほんとだ」と反省ができない。

人に注意はするが、自分が注意をされることを嫌うのです。

見ているから反面教師と言うわけではなく、ただ気になるからその終末を見届けるという「こだわり」の一種なのかもしれません。

これは注意してもしても治らない傾向あり。。

一番気になるのは外食です。

お店に入れば知らない人がたくさんですよね。

動物園の如く人が食べている姿が気になるのか、お隣さんでも後ろさんでも構わずずっと見ていられるようです。

これはさすがに座る位置など工夫してますが、個室でもない限り周りの方に100%配慮することは難しいです。

「お願いだからやめて」と言っても無駄です、だって「見たいし気になるんだもん」だから。

まあ、これを世間一般的には親の過干渉と言うのでしょう。

「いいじゃん、見たいなら見せてあげなよ!」「まだ子供だよ?そんなの普通だよ?」

そうです、自分の子でなければそうなんです。

実際放置している方も多いでしょう。

お店の中を走り回り、回転寿司では流れてくる寿司を触り、ファミレスでは他人の席に突撃など。。

「子供って自由で可愛いよね~」

 

「無責任」

 

無責任な親?

あきらめた親?

理解しているつもりの親?

 

結局その子が大人になった時、その過程を過ごした子はどんな大人になるのでしょうか。

ある意味で、また新たな価値観と時代がやってくるのでしょうか、迷惑をかけることを注意するこすら許されないこの世界で、あなたはどう生きますか?

 

あの時注意されたことを今思い出すのか、注意すらされたこと無くそれが当たり前と生きてきたのか、こうして次の時代に引き継がれていくことになるのでしょう。

 

ほら、また疲れてきましたよ、、また明日考えることにしましょう。