今、感じること

人間関係、仕事、趣味、生活。健康、社会などなど、私が今思い、感じることをぼやいているサイトです。

アスペルガー症候群(ADHD)の言動

うちの子です。

現在小学3年生の娘です。1年生の頃から何かと学校から呼び出しだの電話だのと問題行動の多い娘。今も変わらずではあるが、1年生の頃とは性質の違った行動や言動が目立ち始めた。特に多いのが「嘘」。正直に言えば誰も怒らないよと言って育ててきたつもりではありましたが、都度嘘をつくことが当たり前になってしまっていて、何かを尋ねた時の一言目はかなりの確率で嘘をつくことが多いです。また、その嘘について問うと、「知らない」「わからない」「忘れた」などが多く会話が成立することがありません。本人も悪いことをしたと言う自覚がないため反省がなく、また同じことを繰り返します。嘘の他にも思ったことをそのまま口に出すため、相手を傷つけたり怒らせることも多々。それについても都度対処策を伝授するが改善せず。逆にふて腐れて「何もしていないのに皆が自分を責める」と思い込んでしまうのです。年齢のななわりで考える必要があるため、現在10歳だと7歳?との計算が正しいのか、しかし、7歳とも思えない行動や言動が多いため、性格も大きいのだとは思う。とにかく「嘘」が当たり前にになりすぎて、息を吐くかのように出てくるうそにどう対処して良いのかも分からなくなってきました。ADHDは相手の気持ちを理解するこができないと言われていますが、目の当たりにしなければ普通の家庭で過ごす方には共感を得ることは難しいでしょう。私も病院でカサンドラ症候群の疑いありと言われたことがあり、「あ~、これか」と思いました。一人っ子と言うことも災いしてか、学校ではお嬢様かのような振る舞いも多いらしく、周りの友達や先生のことをお手伝いさんや家来だと思っているそうです。そんな家来たちが反発的な態度でもとろうものならトイレに立てこもったり、授業放棄などやりたい放題だとか。我が子ながら呆気にとられてしまいました。こういうのってどうすれば改善するのか、力で押せば反発し、解放すれば大暴れし、「ん~~~~~」と日々悩む。たまに飲食店やショッピングモールで見かける、やりたい放題な子供を注意せずに放置さる親。昔は「ちゃんと自分の子供なんだから注意しなよ」と思っていましたが、今思うと諦めた方々だったのかなと思うことも。言葉は聞こえているようですが、音としてであって意味のあるものとしては理解されていない(気のせせらぎや物が落ちる音)のでしょう。

今日はいつもより少し疲れたな、さあ少し寝るとしよう。

アスペルガー症候群(ADHD)の視線

うちの子です。

私が中学生の時にもいたのですが、気になるものや事があると、その一点を凝視し続ける癖があります。

さすがに相手と目が合えば反らすのですが、それまではずっと見ている感じです。(テレビでも見ているかのよう)

定型の人は見られていると気がついても無視してやり過ごすのでしょうが、それを良いことに見放題な。。

それって自分の興味があることだからずっと見ることができるのでしょうが、いざ叱られている時や興味の無いことには一切見向きもしません。

まあ子供なら定型の子でもやや同じことは言えるかもしれませんが、ADHDの子は話も聞き入れられないので注意された事も覚えていない状況です。

なので、思い出して次に活かすとか反省するとかもあまりないように思う。

とにかく動くものや気になるものへの執着が凄く、自分のことより気になることへの感心が勝るのでしょう。

例えば食事中、自分のご飯はボロボロとこぼしていても、目の前の人がこぼしていることが気になり注意をする。しかし、「あなただってこぼしてる!」と言われるとふて腐れて「あ、ほんとだ」と反省ができない。

人に注意はするが、自分が注意をされることを嫌うのです。

見ているから反面教師と言うわけではなく、ただ気になるからその終末を見届けるという「こだわり」の一種なのかもしれません。

これは注意してもしても治らない傾向あり。。

一番気になるのは外食です。

お店に入れば知らない人がたくさんですよね。

動物園の如く人が食べている姿が気になるのか、お隣さんでも後ろさんでも構わずずっと見ていられるようです。

これはさすがに座る位置など工夫してますが、個室でもない限り周りの方に100%配慮することは難しいです。

「お願いだからやめて」と言っても無駄です、だって「見たいし気になるんだもん」だから。

まあ、これを世間一般的には親の過干渉と言うのでしょう。

「いいじゃん、見たいなら見せてあげなよ!」「まだ子供だよ?そんなの普通だよ?」

そうです、自分の子でなければそうなんです。

実際放置している方も多いでしょう。

お店の中を走り回り、回転寿司では流れてくる寿司を触り、ファミレスでは他人の席に突撃など。。

「子供って自由で可愛いよね~」

 

「無責任」

 

無責任な親?

あきらめた親?

理解しているつもりの親?

 

結局その子が大人になった時、その過程を過ごした子はどんな大人になるのでしょうか。

ある意味で、また新たな価値観と時代がやってくるのでしょうか、迷惑をかけることを注意するこすら許されないこの世界で、あなたはどう生きますか?

 

あの時注意されたことを今思い出すのか、注意すらされたこと無くそれが当たり前と生きてきたのか、こうして次の時代に引き継がれていくことになるのでしょう。

 

ほら、また疲れてきましたよ、、また明日考えることにしましょう。

コロナのワクチン接種が始まる?

新型コロナウイルスの爆発的な感染(パンデミック)を経て、やっとワクチンが世界中で本格的な導入の動きを見せている。

しかし、ワクチンの安全性については今も様々な意見が飛び交っている。

 

「安全?」

 

結果として新興国の接種が遅れているのは、遅れているのではなく途上国で人体実験の結果が見えてきてからの様子見なんだろうと思う。

モルモット説もよく聞きますが、人間って怖いですね。

温暖化や食料危機など、今回のコロナは闇を感じざるを得ない。

 

マイクロソフトビル・ゲイツ氏の陰謀論もよく囁かれていますが、今人類が抱えている問題の一番簡単な解決策は人間を減らすこと。ジョークとしては少し辛口にも感じますが、極論としては裏の社会を動かす人間達にとっては当然の結論とも言えるのでしょうね。

 

「あなたはワクチンの接種を積極的に受けますか?」

 

答えは「分からないが成り行きでしょう」

とくに日本人は人目を気にして人と違うことを恐れる人種です。

友達関係や会社もそうであるように、良い意味でも悪い意味でも多数決がもっとも強い民主主義国家なんですよね。

正しくても少数なら負ける、みんなで渡れば怖くない、長いものに巻かれろ、草食な民族の血が通っているのです。

集団でなければ弱いのです。

 

さて、疲れてきたのでお風呂に入ってこよう。。

人は生まれた時代に合わせて特色がある?

先輩や後輩もそうですが、もちろん自分達の世代も含めて結構違いがあるように感じます。

例えば、以前の職場の一回り上の先輩に言われた一言に「君は君の仕事をしろ」があります。転職した今の会社でも一回り上の先輩から同じことを言われたことがあり、その時代に何を見て、何を経験したのでしょうか?

よくある話に「ドラマ」があります。

ドラマはその時代背景を象徴しており、そのドラマに影響を受けた当時の若者が現代の若者との間に違和感を覚えさせるのではないでしょうか。

例を上げれば90年代に放送されていたと思う「働きマン」この時代に大学生だった人は寝る間を惜しんで働くことこそが美しく、できる社会人の象徴なのだと今でも信じて止まないのです。むしろその主人公になったかのように憧れを抱いたまま社会人になってしまったのでしょう。また、その背中を押すかのようにCMでも「24時間働けますか?」という栄養ドリンクなどのCMもあったような気がします。今思うと恐ろしい時代でしたね。。

最近では「半沢直樹」や「私、定時で帰ります」など、熱血系から働き方改革に合わせたドラマが多くなっていますね。

やはりバブル崩壊後の働き方として「働きマン」のような働き方を推奨していては、自殺者や過労死などが後を経たないのでしょう。

一回り上の人と働いていると、たまに出てくる台詞がその時代のドラマの名台詞だったりして分かりやすかったりもします。

まあそうですけど、「働きマン」と「私、定時で帰ります」が一緒の職場で働いていると色々な問題が出そうな気がしますよね。

そこへ「半沢直樹」が空気を読まずに入ってくることを想像すると疲れてきます。

そして更にその上の上司は「釣りバカ日誌」と来るもんだから温度差がすごい。

 

そんなこんなで、現代の子供達はいったいどのような時代に生きるのでしょうか。

ただでさえ私たちが過ごした幼少期のイメージと現代の子供は雰囲気も価値観も考え方も大きく違うように思います。それは時代背景の他にも食べてきたその時代の食べ物(添加物)の影響や、豊かさなど様々な要因があるのだと思います。

特に、最近は発達障害を抱える子供が非常に多いように感じます。発達障害と言うが、一種の進化なのでしょうか。

 

だめだ、また疲れてきた。。

サービス残業する人

皆さんの会社には「サービス残業」というものはありますか?

私は今の会社が3社目となり、以前勤めていた会社ではサービス残業も会議もなく、やや低賃金ではあるものの平凡に働いていました。正直、サービス残業や会議にすら憧れを抱くほどに遠い存在だったのだと思います。

しかし、現在の会社ではサービス残業に会議にと、ずっとお祭り状態で気が休まるときがありません。先輩達も体育会系でしっかりと会社から洗脳を受けているようで「精神」「気合い」「根性」があれば不可能はないと思い込んでいますね。そう、うちの会社はあの「管理者養成学校」で社員研修を行っているのです。

これについて話し始めると長くなるので割愛しますが、興味のある方はYouTubeや他の方のブログを覗いてみてください。

話は戻り、「サービス残業」です。

先日のことですが、先輩に「サービス残業ばかりしてますが辛くないですか?」と聞いてみたところ、「サービスがなに?」と聞き返され、「サービス残業ですよ!」と私が言うと「なにそれ?」。。。。。

そう、部活の延長のような感覚で働いているため、「サービス残業」という言葉自体を知らなかったのです。

先輩は営業部から異動で私のいる部署にやってきたのですが、普段からあれだけ売上だの粗利だの目標だのと言っているにも関わらず、自分自身の勘定計算ができていなかったのです。

一度サービス残業という麻薬を使ってしまえば、そこで出した結果が基本となり将来的にそれ無しには仕事ができなくなります。

サービス残業によって達成した目標は、サービス残業無しには越えることができませんよね。

最近では働き方改革やテレワークなど様々様式が提唱され、中には義務付けられているものもあります。これらは本来経営者が責任を持って履行しなければならないコンプライアンスの1つでもあるのですが、利益追求に目の眩んでしまった経営者も少なくないでしょう。

そんな会社を世間では「ブラック企業」と呼んでいるのは皆さんご存知ですよね。

こうした環境が当たり前になっている会社では定時で帰ることが異常であり忠誠心が薄いとバカにされるんですね。「生産性を上げろ!」と言われ、効率的かつ1.5倍の仕事をこなそうとも、定時で帰ることは悪なのです。

挙げ句の果てには笑い者にされ根性無しとも言われることがあるでしょう。

体育会系がダメなのではないのです。

それらの縦社会で素直で純粋に頑張ってきた人たちを上手く利用して利益を上げている企業の体系こそ問題なのです。

私の考え方もなかなか理解いただけないのは承知でお話しますが、本当に集中して力を発揮できるのは8時間が限度です。その間に如何にして業務を圧縮し、生産性を上げて成果を上げるかだと思っています。

ここで、サービス残業をすることが当たり前になっている人は、はみ出る予定の時間も含めて計算しているため定時内に納めることができません。むしろ、納めるつもりはありません。

これまでにサービス残業で忠誠心を示してきた分、生産性が上がったからと言って定時で帰宅することは裏切り行為だと思っているのです。

むしろ、時間ができたからもっと働こうとなるのです。

ひどい会社では生産性が上がることで「え、今まで遊んでたの?やればできるじゃん!」となり、更なる厳しい環境に繋がっていくのです。

 

なんかこれを書いているだけで疲れてきました。

日本の会社ってなんでこんなに古いやり方から抜け出せないのか、それは暗黙の了解と言う日本ならではの働き方なのだと思う。

働き手は奴隷ではないし、家来でもない。

企業と働き手の関係はフィフティーフィフティーなのです。

会社はより良い人材に報酬を払い、その報酬に応じて自分の知り恵る知識やスキルを惜しみ無く提供する。

逆に言えば、報酬を支払うことができないのであれば、企業に対してそれ以上の知識やスキルを提供する必要はないのです。

 

またまた元に戻ると、「サービス残業」とは自分自身をバーゲンのワゴンセールにかけ、値引き販売している状況です。

もちろんその人の市場価値も同時に落ちていくのは当然のことながら、社内では値引きシールの貼られた社員をどういう目で見ているのでしょうか。

自分を安売りすると言うことは、その程度でしか会社にしがみつく事のできない社員だと言うことを分かりやすく皆に伝えているのと同じことです。

「私は仕事を定時内に終わらせることができず、居残りして罪滅ぼしをしています」「家に帰っても居場所がないので、会社で時間を潰しながら忠誠心を誓っているように見せかけてます」「とくにすることはないけど周りの空気読んでます!」

このように主張の激しい社員を育ててしまった企業の経営者の方に一言伝えたいことがあります。

会社に行くこと、居ることが仕事になっている社員、生産性、コンプライアンスの意味を分かっていない昭和社員、何を言っても「はい」しか言わない社員。

こんな社員に囲まれると会社はあと何年持つでしょうか?

とくに、2代目、3代目のような同族経営で陥りがちな傾向は強く、北朝鮮金正恩のような経営者が生まれがちです。

最後に待っているのは幹部の裏切りと信頼していた社員の流出、あるいは共倒れでしょう。

会社経営には必ず否定的な人、疑問を投げ掛ける人、自分を嫌っている人を側に置くべきです。自分の間違いや誤った判断を指摘する人がいないということは、最悪の自体に陥るまで誰も気がつかないと言うことです。

イエスマンでブレーンを固めることのリスクをこのブログにより気がついていただければと思います。

 

長々と独り言をご覧いただきありがとうございました。